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パートナーインタビュー

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  • 3月 31, 2022

    タンザニア③清水 邦子さん

    タンザニア連合共和国 タンザニアフィリア有限会社 代表/駐日タンザニア大使館中部地区商業文化交流名誉代表清水 邦子さん 会社とご自身について教えてください。 弊社は2005年に創業しました。以前から面識のあった当時のタンザニア大使から、愛知万博のボランティアサポートを依頼されたことがきっかけです。万博での交流をもとに、もっと多くの人にタンザニアを知ってほしいと「ギャラリー・タンザニアフィリア」をオープンし、タンザニア生まれのポップアート「ティンガティンガ」の絵画をはじめ、トートバッグなどオリジナルグッズの企画開発・展示・販売を行っています。その一方で、駐日タンザニア大使館商業文化交流中部地区の名誉代表を務め、交流イベントや講演会などを通じてタンザニアと日本の親善活動を行っています。 タンザニアに興味を持った理由とその魅力を教えてください。 様々な言語を通じて世界と繋がりたいという思いから、上智大学外国語学部を卒業した後、ケニアのナイロビに留学しスワヒリ語を学びました。修了後、友人たちと大陸縦断の旅に出たのですが、その途中で、当時勃発していたタンザニアとウガンダとの紛争で特に危険とされていたウガンダとの国境に、あろうことか夜に到着してしまうというトラブルに見舞われました。困り果てていたその時、タンザニアの兵士が「良かったら、自分たちの兵舎を使わないか」と声をかけてくれたのです。毅然としながらも心優しい態度に感動しました!その後タンザニアに2週間ほど滞在しましたが、触れ合う人誰もが温かく受け入れてくれて、謙虚で控え目、穏やかで暖かい雰囲気に他の国にはない独特の魅力を感じ、この国に強く惹かれました。 古くからインド洋交易の拠点とされたタンザニアには、アラビア半島をはじめ様々な地域の文化が息づいています。例えば宗教。アラブ系の影響を受けている沿岸部はイスラム教、内陸は欧米系のキリスト教が多い。エスニックグループ(部族)も120を超えます。しかし、彼らはぶつかり合うことなく互いを尊重し共生しています。これは、連合共和国としての初代大統領ニエレレ氏が説いた「互いに認め合い、共に新しい国を築いていこう」という相互扶助の理念が、しっかりと浸透しているからではないでしょうか。みんなで助け合う大切さを知っている、そんな心の豊かさが、タンザニアにはあります。 オリジナル商品とティンガティンガの魅力について教えてください。 ティンガティンガアートをもとにしたオリジナルの商品は、サイズや仕様、カラーなどのデザインを我々が立案し、現地のアーティストや縫製業者さんたちと協力して制作しています。モチーフの絵は、既存の絵を使用することもあれば、新たに描き起こしてもらうこともあります。ティンガティンガアート継承者の1人、アグネスとコラボした「アグネス・トートバッグ」は(右下)、弊社のギャラリーと、一村一品マーケットのお店(成田空港・関西空港)のみで販売しているレア商品です。 ティンガティンガは、ハッキリした色合いなので一見主張が強いと感じるかもしれませんが、不思議なくらい何処に飾っても周囲と馴染みます。これは、他者を受容して共生する懐の深いタンザニアやアフリカ大陸の性質が、絵に現れているからなのかもしれません。アーティストの皆さんも、とても魅力的!制作拠点のティンガティンガ芸術村(工房)で「この絵を描いたアーティストに会いたい」と尋ねると、そのアーティストに会えるようみんなが手助けしてくれます。ギスギスしたライバル関係はなく、仲間が注目されていることを心から喜び応援するのです。ここにも、自分だけでなくみんなで幸せになろう、という支え合いの精神を感じます。 ご自身の活動について教えてください。 起業のきっかけをくれた大使にインスパイアされ、様々な活動を行ってきました。ティンガティンガの展示会や、タンザニアの食や音楽を体験する文化交流会、専門学校の生徒さんたちとコラボしたカンガ(タンザニアの民族布)ファッションショーも好評でした。経営の神様と称される稲盛和夫さんの著書「成功への情熱」に感銘を受けた大使から、「ぜひ彼に会いたい」なんて無茶振りをされたことも(笑)。以前からアフリカ大陸に関心をお持ちだった稲盛さんは喜んでくださり早速出版許可をいただき、同書のスワヒリ語版がタンザニアで出版されました。現在は、ティンガティンガの健康増進プロジェクト(Tingatinga Afya Project)を進行中です。ここ数年、招聘を予定していたアーティストが健康を害して亡くなるという悲しい出来事が続いたことがきっかけです。別途、交流を得た大阪市立大学長の声がけで、同大学院看護学研究科を中心とするメンバーのチームと一緒に、現地のフィールドワークを通じて、生活習慣病予防に取り組んでいます。 今後について教えてください。 タンザニアはもちろんですが世界には、素敵な文化や人、品物があふれています。世界各国のそうした魅力を、一村一品マーケットなどとコラボしながら、より多くの方々へ伝えていきたいですね。ありがたいことに一村一品マーケットで弊社の商品を購入されたお客様から、多くのお問合せをいただいています。今年初夏には、弊社のECサイトも開設予定です。これまでと同様に人との繋がりや絆を大切に、今後も様々な取り組みを展開していきます。 写真提供:タンザニアフィリア有限会社

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  • 2月 16, 2022

    ウズベキスタン② 川端 良子さん

    ウズベキスタン共和国 日本ウズベキスタン協会 理事長/国立東京農工大学 准教授 川端 良子さん 協会とご自身について教えてください。 当協会は、現在会長を務めるジャーナリストの嶌(しま)信彦氏によって、1998年に設立されました。 会報の発行や講演会、交流イベントなどを通じて、ウズベキスタンとの人的交流を推進しています。 また、私個人は准教授を勤める東京農工大学においても、養蚕振興と農村女性の自立化を目的とした「ウズベキスタンの農村復興計画」を手がけるなど、多岐にわたり両国の友好親善活動を行っています。 ウズベキスタンの印象を教えてください。 当協会が設立された頃、私は農学の博士号を取得したばかりの学生で、中央アジアにおける水環境と農業の特別研究員としてタシケントに留学していました。 ソ連独立後の経済不況真っ只中で、物資も不足しており、何もない地方へ調査に出向く際にはタシケントで色々なモノを大量に買い込まなければならず、とても苦労しました。 その頃に比べると、現在は国全体がとても豊かになったと感じます。 しかし残念だと思うことが1つ。それは、現地における日本ビジネスの雇用が不十分であること。 実直な日本抑留兵たちの姿が世代を超えて語り継がれている親日国なので、日本人と知れば初対面にも関わらず手厚くもてなしてくれますし、日本に興味を持ち日本語を学ぶ学生たちは非常に多いのです。 しかし、日本語を活かせる就職口が国内にはほとんどありません。現在ウズベキスタンで暮らす日本人は約150人ほどで(※) 、そのほとんどがJICAや政府機関の関係者。 中国や韓国に比べ、民間企業の進出があまり成されていないため、雇用を生み出せていないのでしょう。今後少しでも多く就職口が増え、両国関係の拡大、発展に繋がることを期待しています。 ※2020年10月現在:外務省 写真提供:駐日ウズベキスタン共和国大使館 「ウズベキスタンの農村復興計画」について教えてください。 フェルガナ地域は1,000年以上の歴史を持つ養蚕の産地で、絹糸を使用した織物の「アトラス」は 国を代表する伝統工芸品です。しかしソ連崩壊後の経済不況により、養蚕業や絹産業は停滞して しまいました。そこで、立ち上げたのがこのプロジェクトです。JICAの草の根技術協力事業として、 日本の養蚕技術を導入し質の改良と向上を図り、養蚕の復興と安定した収入確保を目指しました。加えて、小物を中心としたアトラス製品の開発や販売も支援しました。研究調査で地方に訪れた際、 離婚によって生活に困窮する女性たちの話をよく耳にしたのですが、地方におけるウズベキスタン家庭の大半は、夫や父親が家計や就労を厳格に管理していて、妻や娘たちは自由に働きお金を使うことができずにいました。 この実情を知り、アトラスの小物製品を作り販売することで、農村の女性たちに経済的な自立を目指してほしいと考えたのです。 もともと手先が器用な人たちでしたし、ミシンを持っている家庭も多く、外出を禁止する厳しい夫や父親がいても、小物品なら家にいて作ることができますよね。 慣れないうちは戸惑っていましたし、同じサイズやクオリティで同じ製品を作る感覚が無かったことや、原価計算ができなかったことなどの苦労はありましたが、 自分で作った製品が店に置かれ多少高額でも売れることが解ると、技術だけでなくモチベーションも上がっていったようです。 このプロジェクトで稼いだお金で、孫に液晶テレビをプレゼントした、なんて嬉しい声も届きました。 商品について教えてください。 現在一村一品マーケットで販売しているアトラスの商品は、前途のプロジェクトで制作された品々です。 デザインは、日本で開催したハンディクラフトコンテスト入賞作の型紙や作り方を基にしています。 現地では、世界遺産のイチャン・カラ遺跡内の専門ショップ『CoCoon(コクーン)』で販売しています。 一番人気は「くまのぬいぐるみ」。ガイドブック「地球の歩き方」や報道番組「NHKワールド」などのメディアでも取り上げられ、観光客から大好評です。 コピー商品が出るほどなんですよ(笑)。JETROと共同で開発した「シュシュ」も反響を呼んでいます。 写真提供:日本ウズベキスタン協会 ウズベキスタン協会やご自身の今後の活動について教えてください。 日本で多くの方に買っていただけることが、現地の作り手のモチベーションアップに繋がっています。...

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  • 12月 20, 2021

    ウズベキスタン パートナーインタビュー

    ウズベキスタン共和国 ジャパントレーディンググループ株式会社CEO ユヌス イシャンクロフさん ご自身と会社について教えてください。 私は、ウズベキスタンのサマルカンドで生まれ育ちました。 国立サマルカンド外国語大学を卒業した後に来日し、一橋大学の大学院で国際経済学を学びました。 その後、 金融機関、大手自動車メーカーの勤務を経て、現在に至ります。この会社では、ウズベキスタンの商品を始め、ハラル食品やトルコ食品の輸入・販売、飲食事業を手掛けるほか、 日本の建設機械や中古車の輸出など、幅広い事業を展開しています。 この仕事を始めた理由を教えてください。 ウズベキスタンがソ連から独立した当時私は10歳でしたが、事あるごとに日本の情報を見聞きしていました。 中央アジアの中で唯一、ウズベキスタンだけ日本との直行便が就航していたり、 日本が各大学にパソコンを100台寄付したことが報道されたりと、 独立後のウズベキスタンをサポートしてくれる日本に興味をもっていたため、 サマルカンド外国語大学に入学した時、日本語の学科を専攻しました。そこで、ショートタームで赴任していたJICAの先生たちに出逢ったんです。 彼らは、先生でありながらビジネスマンでもあり、日本語を教えるだけでなく、自身が経験したビジネスの話を共有してくれました。とにかくとても熱心で、生徒のためにメチャクチャ頑張る姿を見て、 「この人たちはビジネスマンで全然違うフィールドで活躍しているのに、なぜこんなに一生懸命なのか?」と不思議に思うと同時におもしろさを感じ、「私もこうなりたい。」と強く思いました。 JICAの先生たちのように、外に出て、広い視野を持ち、ビジネスでもなんでもいろんな経験をして、自分が苦労して覚えたことやその経験を、誰かに伝えていきたい。 そうした思いが、今の仕事に繋がっています。 ウズベキスタンと日本との違いや共通点について教えてください。 日本の会社に勤めて驚いたことは、朝礼と終礼と日報。これはウズベキスタンの会社の文化にはありません。 当番制のゴミ集めや部署全員のデスク掃除なども初体験で、慣れるまでは苦労しましたが(笑)、 こういった真面目な姿勢が、日本企業や日本人に対する高い信頼性に繋がっているのだと思います。 共通点は、たくさんあります。 ウズベキスタンでは家族や両親をとても大切にしますが、日本もそうですよね。 国民食のプロフも炊き込みご飯と良く似ているし、言語の文法もそうです。 ウズベク語も主語から始まって述語が最後にきます。 洋服に関しても、日本の女性と同じように、ウズベキスタンの女性たちも過剰な肌の露出を嫌うので、 着物のようなスタイルの丈が長めのファッションが多い。 お辞儀の文化も一緒ですね。ウズベキスタンでは右手を胸に当てて頭を下げ、相手に敬意を表します。 お年寄りも大切にする。電車でどうぞと席を譲り、荷物を代わりに持ってサポートします。 ウズベキスタンは、日本と同じアジアの国で、とても良く似た文化や価値観を持っています。 似ているものを持っているからこそ、仲良くなれる国なのです。 写真提供:駐日ウズベキスタン共和国大使館 一村一品マーケットに参加した理由について教えてください。 生まれ育った国はウズベキスタンですが、社会人、夫、父になったのは日本でのこと。 人生の大事なポイントは、ほとんど日本で迎えました。だから私にとって2つの国はとても大切なのです。 商品を通じて、大切なウズベキスタンのことを、1人でも多くの大切な日本の人々に知ってもらいたい。その一心で参加しました。 ご自身の今後の活動について教えてください。 日本は、歴史や文化に関わるものをとても大切にして、上手に世界へアピールしています。...

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